それは、このページを始めたばかりのころ。 そして。 危険すぎる。 正直トラウマになりました・・・。危険だからじゃなくて・・・。 今回、もういい加減いろいろいいんじゃないかと吹っ切れたので、アップすることにします。 このレポートは2007年4月27日の探訪記録を元にしています。その後、中越沖地震、東北大震災と、地震をはじめとする天災がこの周辺を襲っています。現在、どのような状態にあるのか、残念ながら確かめられていません。このことを、予めお断りしておきます。 |
栃窪隧道 前半
さて、スタートはいつかも通った道。ここは浦瀬町、榎峠への道。 榎木峠へはまっすぐですが、今日は左へ曲がります。というか、相変わらずまっすぐは栃尾に行かないことになってるのですね・・・。 |
さて、椿澤集落の入り口まで来ました。 |
集落の名前を冠する、椿澤寺。三島の寛益寺とゆかりのあるお寺です。かつては大きなお寺だったそうです。 |
細い路地を奥へ奥へ・・・。山へ向かって進んでいきます。 |
道の脇には気になる用水路が。 |
わざわざトンネルが掘り抜いてありました。 |
住宅地を抜け、狭い谷間をひたすら奥へ。 |
途中に山の神様が。 |
道は川筋を離れ、丘の上に出ました。一気に空間が広がります。 |
・・・と、ここで分岐です。 |
何気ない砂利道ですが、ここからが本番。 |
しっかりした道が続きます。まぁ、地図にしっかり載ってるくらいだから、これぐらいは当然というものです。 |
なんと、舗装までしてあります。逸れそうですよね、何せ、この奥にはトンネルまであるんですから・・・。 |
しかしそれもごく一部区間のみ。すぐに砂利に後戻り。 |
うお、なんか車が止まってます。そして、なんと砂利道はここまで。 |
これから進みたい方にはこんな立て看板が。 |
いよいよ怪しくなってきました。 |
もう、夏には激藪になってそうな、かなり自然に帰りつつある廃道です。やっぱり、廃道探索は春に限ります。 |
道はかなり怪しく、所々崩れた土が積もっていたり、路盤が無くなっていたり。ここはかろうじて歩けるだけの天然の土の橋が・・・。 当然のごとく、踏み跡はありません。 |
砂防ダムが見えてきました。 |
道はいきなり終わりました。 |
その、トンネルがあるはずの斜面。 |
どうやら、ここは橋ではなく、土管か何かを埋めていた土橋だったようですね。完全に流されてしまっていますが・・・。 一度谷へ下りて、登ります。 |
対岸から、来た道のほうを眺めるとこんな感じ。ごっそり崩れてます。 |
トンネルの前は広場になっていますが、その傍らに石碑を見つけました。 |
この荒れ果てた、枯れススキの原っぱには全く似つかわしくない、立派な石碑。 町村合併促進法ニヨリ昭和二十九年四月旧田上北谷村ハ旧見附町ニ合併 我部落ハ隧道貫通道路ヲ要望シタル所採択起工セラル椿沢町ノ協力ヲ得テ貫通セリ 之ニ依リ栃窪町ノ文化交通ニ格段ノ進展ヲミルニ至ル 茲ニ喜ビノアマリ記念碑ヲ建立ス 一部、読めないところは少し字を足してありますが、だいたいの事情は読み込めます。 |
肝心の穴はといえば。こんな状態。 |
水が流れ出してきています。 |
のぞき込むと、そこには何とも言えない空間が。 |
視線を低くすると、水面に光が反射しているのが見えました。 まだ、貫通してる。 そういえば、この土、見覚えがありますね。 |
壁には水跡が残っています。どうやらこの状態はまだ満水ではないようです。 |
トンネルの上部はといえば、・・・・・・何、あのへこみは。 |
さて、椿沢側の状態は確認しましたので、栃窪側へ回ってみることにしましょう。まだ穴が通じていることはわかりましたが、内部の状態は果たして・・・。 探訪日 : 2007.05.16 |