それは、このページを始めたばかりのころ。
 山さ行がねがさんや新潟廃報(現在は「旧道・廃道 「廃報アーカイブ」」)さんにあてられていた私は、当然の成り行きで、激しい廃物件を求めていました。長岡近辺でインターネット検索をかけると、いくつかがヒットしますが、その中でも特に激しかったのが栃窪隧道
 長岡近辺では、現在、これ以上のものは石油井戸以外にはありません。

 そして。
 行ったはいいのですが、これまた当然のことながら、お蔵入り。だって、

 危険すぎる。

 正直トラウマになりました・・・。危険だからじゃなくて・・・。

 場所はここ。

 今回、もういい加減いろいろいいんじゃないかと吹っ切れたので、アップすることにします。
 ネタ切れだから。

 このレポートは2007年4月27日の探訪記録を元にしています。その後、中越沖地震、東北大震災と、地震をはじめとする天災がこの周辺を襲っています。現在、どのような状態にあるのか、残念ながら確かめられていません。このことを、予めお断りしておきます。

栃窪隧道 前半

栃窪隧道_001

 さて、スタートはいつかも通った道。ここは浦瀬町、榎峠への道。

 場所はここ。

 榎木峠へはまっすぐですが、今日は左へ曲がります。というか、相変わらずまっすぐは栃尾に行かないことになってるのですね・・・。

栃窪隧道_002

 さて、椿澤集落の入り口まで来ました。
 現在位置。

栃窪隧道_003

栃窪隧道_004

栃窪隧道_005

 集落の名前を冠する、椿澤寺。三島の寛益寺とゆかりのあるお寺です。かつては大きなお寺だったそうです。

栃窪隧道_006

 細い路地を奥へ奥へ・・・。山へ向かって進んでいきます。

栃窪隧道_007

 道の脇には気になる用水路が。

栃窪隧道_008

栃窪隧道_009

 わざわざトンネルが掘り抜いてありました。
 ため池へと続く用水路のようです。

栃窪隧道_010

 住宅地を抜け、狭い谷間をひたすら奥へ。

栃窪隧道_011

 途中に山の神様が。
 いろいろ写り込んでいます。山の神様は女性だからああいったモノを捧げるのだそうですが、なんか逆に怒られそうですよね・・・。

栃窪隧道_012

 道は川筋を離れ、丘の上に出ました。一気に空間が広がります。

栃窪隧道_013

 ・・・と、ここで分岐です。

栃窪隧道_014

 何気ない砂利道ですが、ここからが本番。
 今はここ。

栃窪隧道_015

 しっかりした道が続きます。まぁ、地図にしっかり載ってるくらいだから、これぐらいは当然というものです。

栃窪隧道_016

 なんと、舗装までしてあります。逸れそうですよね、何せ、この奥にはトンネルまであるんですから・・・。
 舗装も、そう古くはない感じです。

栃窪隧道_017

 しかしそれもごく一部区間のみ。すぐに砂利に後戻り。
 沢の中を、道は続いていきます。

栃窪隧道_018

 うお、なんか車が止まってます。そして、なんと砂利道はここまで。

栃窪隧道_019

 これから進みたい方にはこんな立て看板が。
 ・・・・・・うん、危険だよね。それはわかってますよ。
 でも立ち入っちゃいます。

 今はここ。

栃窪隧道_020

 いよいよ怪しくなってきました。
 自転車はここに置き、土の道をさらに奥へ進んでいきます。

栃窪隧道_021

 もう、夏には激藪になってそうな、かなり自然に帰りつつある廃道です。やっぱり、廃道探索は春に限ります。

栃窪隧道_022

 道はかなり怪しく、所々崩れた土が積もっていたり、路盤が無くなっていたり。ここはかろうじて歩けるだけの天然の土の橋が・・・。
 でも、地図上ではきちんと道として描かれています。

 当然のごとく、踏み跡はありません。

栃窪隧道_023

 砂防ダムが見えてきました。
 こんな景色にワクテカしちゃうのは、やっぱり廃道マニアだけなんでしょうね・・・。

栃窪隧道_024

 道はいきなり終わりました。
 終点は少し広場上になっています。そして、地図によれば、道は左に折れて谷をまたぎ、トンネルへと続いているはずですが・・・。

栃窪隧道_025

 その、トンネルがあるはずの斜面。
 なんて言うか、荒れ果てていて、トンネルの気配は写真ではわからない・・・かな?
 でも、わかる人には、トンネルの気配に気づけるはず。

栃窪隧道_026

 どうやら、ここは橋ではなく、土管か何かを埋めていた土橋だったようですね。完全に流されてしまっていますが・・・。

 一度谷へ下りて、登ります。

栃窪隧道_027

 対岸から、来た道のほうを眺めるとこんな感じ。ごっそり崩れてます。

栃窪隧道_028

 トンネルの前は広場になっていますが、その傍らに石碑を見つけました。

栃窪隧道_029

 この荒れ果てた、枯れススキの原っぱには全く似つかわしくない、立派な石碑。
 この背面を読むことで、この隧道の由来を知ることが出来ました。

 町村合併促進法ニヨリ昭和二十九年四月旧田上北谷村ハ旧見附町ニ合併 我部落ハ隧道貫通道路ヲ要望シタル所採択起工セラル椿沢町ノ協力ヲ得テ貫通セリ 之ニ依リ栃窪町ノ文化交通ニ格段ノ進展ヲミルニ至ル 茲ニ喜ビノアマリ記念碑ヲ建立ス
  工費 参百万円
  延長 二四〇米
  昭和三十三年八月  栃窪町
            村中一同

 一部、読めないところは少し字を足してありますが、だいたいの事情は読み込めます。

栃窪隧道_030

 肝心の穴はといえば。こんな状態。

栃窪隧道_031

 水が流れ出してきています。
 これはもうふさがってるか・・・?

栃窪隧道_032

 のぞき込むと、そこには何とも言えない空間が。
 水がたまっています。どうやら、入り口真上が崩れて、水がたまっているようですね。

栃窪隧道_033

 視線を低くすると、水面に光が反射しているのが見えました。

 まだ、貫通してる。

 そういえば、この土、見覚えがありますね。
 そう、西山連峰の泥岩層によく似ています。つまり、とても崩れやすい。

栃窪隧道_034

 壁には水跡が残っています。どうやらこの状態はまだ満水ではないようです。
 水深がどのくらいあるのかもいまいちよくわかりません。出口の光の見え方からしても、本来の坑口と同じくらいまで入り口は埋まっているようですから、水深は1mより低いということはないでしょう。

栃窪隧道_035

 トンネルの上部はといえば、・・・・・・何、あのへこみは。

 さて、椿沢側の状態は確認しましたので、栃窪側へ回ってみることにしましょう。まだ穴が通じていることはわかりましたが、内部の状態は果たして・・・。

 後半戦へ

雑記ノート

探訪日 : 2007.05.16

inserted by FC2 system