三島から出雲崎へ西山丘陵を越えていく道として、細故訪古ではこれまで旧国道352号線・中永隧道、剣峰峠、芝峠越えのみっつのルートを紹介してきました。この三つは、各レポートでも書いたとおり、長岡―出雲崎の間の交通を改善するためにこの地域に道を造ることになったとき、明治43年にどこで峠を越えるべきかを比較検討されたものです。これ以外にも道が無かったわけではないのですが、主要路線として認識されていたのがこの三つ、といえるでしょう。 さて、過去、一応三つのルートを制覇しているのですが、実は中永隧道の旧道はまだ歩いたことがありません。大正に検討されたルートという意味では十分踏破済みなのですが、それでもやっぱり旧道は気になります。
中永峠の存在をはじめて知ったのは、三島林道を走ったときのことでした。 結局その後、明治時代・戦後すぐの地形図を精査した結果、これが中永峠ではないか、と思われる徒歩道の表記を見つけたのでした。 さて、その旧地形図の道ですが、実はその旧道自体も二度の変遷を経ています。 |
中永隧道旧道 前半
春が近いとはいえ、まだ暦の上では冬。 何度となく通ってきた道。 |
中永峠は、旧国道の谷間を登っていきます。 |
なんと工事中。 |
旧国道に登りって工事箇所を迂回することにします。 |
何とか降りられそうなところを伝って谷へ降りてきました。 |
右手側を見上げると旧国道のスノーシェッドが見えます。 |
1kmたらずで大きめの砂防ダムが現れました。 |
スパッツを付けて鉈代わりのカマを出して、はてさて・・・と見回すと、砂防ダムからの川に小さなコンクリート橋が掛けられ、その先に道が伸びているのが目に入りました。 どうやら、道はダムで消されることは無かったようです。 |
登っていくとすぐに階段が。 |
対岸にスノーシェッドが続いているのが見えます。 |
はい、早くも廃道らしくなってきましたね。 |
対岸に目をやると意外なものが。 |
道は小さな谷間に入りました。 |
明るいところに出たことで急に道が木に埋もれ始めました。 一度、田んぼ側に出て回避します。 |
田んぼ側から見通すと、道がすぐに消えているのが分かりました。 |
広い切り通しが突然現れました。林道規格です。 |
この林道をたどっていきます。どうやら、先ほどの棚田へはこの林道で入って行けたようですね。 |
さてさて、現地形図にある分岐までやってきました。 |
杉林の向こうに見えてくるもの・・・、 |
ごく一部で有名かもしれない廃墟です。これはお風呂跡。 |
それはともかくとして、とにかく登りの道を探さねばなりません。 それでもとにかく先に進まなければ。 |
すでにとんでもなく怪しいです。封鎖されてかなりの年月がたっているようです。 |
一歩入るとそこは災害現場。もう道の原形をとどめていません。 |
がけの上にはコンクリートの構造物が。 |
がけ崩れ地帯を抜けると、開けた谷に出ました。 |
ヤブから雑木林へと遷移しつつある道をくぐると、細い尾根の登りになりました。 |
道は竹林に入り・・・そして雪が消えました。林道として整備されたようで、足元は結構よく締まった砂利。 |
道が緩やかになったと思ったら広場のような場所に出ました。 |
あ、お地蔵様。
となるとやはりここが峠道なのは間違いないでしょう。 というところで残念ながら天気が怪しくなったので撤退することに。 |
帰りは旧国道をたどることに。 そうそう、スノーシェッドで忘れちゃいけないのが、銘板のチェックです。この道のレポートの時にはチェックし忘れてしまったのです。 |
春の後半探索へ続く。 |