三島から出雲崎へ西山丘陵を越えていく道として、細故訪古ではこれまで旧国道352号線・中永隧道剣峰峠芝峠越えのみっつのルートを紹介してきました。この三つは、各レポートでも書いたとおり、長岡―出雲崎の間の交通を改善するためにこの地域に道を造ることになったとき、明治43年にどこで峠を越えるべきかを比較検討されたものです。これ以外にも道が無かったわけではないのですが、主要路線として認識されていたのがこの三つ、といえるでしょう。

 さて、過去、一応三つのルートを制覇しているのですが、実は中永隧道の旧道はまだ歩いたことがありません。大正に検討されたルートという意味では十分踏破済みなのですが、それでもやっぱり旧道は気になります。
 これは、一度歩いて見ねばなるまいー。

中永隧道旧道_75
三島林道にある中永峠の看板。
林道には剣峰峠の看板もあるのですが、
そちらも峠と違う場所に立ってます。

 中永峠の存在をはじめて知ったのは、三島林道を走ったときのことでした。
 西山林道を小木ノ城から降りてきてトンネルに合流する手前で三島林道に入りしばらく走ると、「中永峠」の看板がぽつんと立てられていたのです。あわててブレーキをかけ、周囲を注意深く見渡してみますがそれらしい道の痕跡は見当たりません。そもそもここは中永隧道から少し離れています。トンネルに対して峠と名前を付けたものなのか微妙なところです。トンネルが関係ないとすれば、トンネル以前の旧道のもの、と考えられるのですが・・・。
 帰ってから地形図を調べてみても『三島町史』をあたってみても、中永峠のことは書かれていません。峠越えの道のひとつとして道路新設の候補に挙がったわけですから、当然旧徒歩道が存在するはずなのです。しかし、これまで見てきた史料では中永峠に触れたものは一切ありません。
 結局その後、同じく三島林道にある「権ヶ峰峠」の看板と「峠のお地蔵様」に興味が移っていくのですが、剣峰峠をたどった後でものどに刺さった魚の骨のように中永峠のことが気になっていました。
 非常に釈然としません。

 結局その後、明治時代・戦後すぐの地形図を精査した結果、これが中永峠ではないか、と思われる徒歩道の表記を見つけたのでした。
 今回はその旧地形地図が示す道を中永峠としてたどってみることにします。

 さて、その旧地形図の道ですが、実はその旧道自体も二度の変遷を経ています。
 大正12年に峠を越える路線が決定して工事が始まりますが、隧道工事に着手したところで工事はストップしてしまいます。戦争の影響が一番大きかったようです。そのころには出雲崎側の道路は出来ていたそうですが、中永側は中途半端で隧道まで道が出来ていなかったようです。
 それでも、標高の低いところを短い距離で越えるということで、中永峠は旧道のまま、出雲崎側は新道を徒歩道として、頻繁に利用されるようになっていたようです。この道が主要道になったことで特に芝峠は峠越えの道としての役割を終えました。
 その後、戦争が終わって工事が再開され、昭和29年に隧道が完成すると、今と同じような交通状況になりました。そして昭和57年に国道に昇格するわけですが、その影には田中角栄の影が・・・。
 そう、今回たどるのは新道である出雲崎長岡線の隧道貫通以前の峠越えの道、言ってみれば「中永隧道旧道」です。おそらく、せいぜい20年しか使われなかったであろう地域の基幹道がどうヤブに埋もれているのか、今から少しうんざりしつつも心のモヤモヤの解決に出かけます。

中永隧道旧道 前半

 春が近いとはいえ、まだ暦の上では冬。
 暖冬で一度積もった雪が平地ではほぼ全て溶け、探索が可能な状態となりました。そこで以前から行って見なければと思っていた中永峠を目指したのでした。

中永隧道旧道_1
画像が切り変わります

 何度となく通ってきた道。
 今回はめずらしくここから目的地が見渡せます。

中永隧道旧道_2

 中永峠は、旧国道の谷間を登っていきます。
 新トンネルの手前で右の谷間に入ります・・・が。

中永隧道旧道_3

 なんと工事中。
 仕方ないので迂回することにします・・・。

中永隧道旧道_4

中永隧道旧道_5

 旧国道に登りって工事箇所を迂回することにします。
 暖冬で雪が無いとはいえ、山は別。道にもまだ雪が残っています。
 その雪の上には足跡が。山関係の人?地元の方の散歩道なのでしょうかね・・・?

中永隧道旧道_7

 何とか降りられそうなところを伝って谷へ降りてきました。
 もう数百m谷間に入ったところです。
 ここも昔は田んぼだったのでしょうが、今は栗の木が植えてあります。

中永隧道旧道_8

 右手側を見上げると旧国道のスノーシェッドが見えます。
 派手に崩壊したのをかなりがんばって復旧したのが分かります。今は使われてないのに・・・。

中永隧道旧道_9

 1kmたらずで大きめの砂防ダムが現れました。
 旧道はこのダムのところで都合よく尾根に取り付くように描かれています。
 ひとまずここで身支度を整えることにします。

 スパッツを付けて鉈代わりのカマを出して、はてさて・・・と見回すと、砂防ダムからの川に小さなコンクリート橋が掛けられ、その先に道が伸びているのが目に入りました。

中永隧道旧道_10

 どうやら、道はダムで消されることは無かったようです。

中永隧道旧道_11

 登っていくとすぐに階段が。
 これはダム用の管理道なのでしょうが・・・、これはもしかして旧道じゃない・・・?

中永隧道旧道_12

 対岸にスノーシェッドが続いているのが見えます。
 急なガケに無理に道が付けられているのがよく分かります。

中永隧道旧道_13

 はい、早くも廃道らしくなってきましたね。
 しかしそれもここだけで、道の跡はしっかりとしてますのでまだ問題ありません。

中永隧道旧道_14

 対岸に目をやると意外なものが。
 あそこの部分、桟橋だったのですね!なるほど、昭和のはじめに工事が止まったのもうなづけます・・・。

中永隧道旧道_15

 道は小さな谷間に入りました。
 ・・・・・・田んぼですね。見事な棚田が下から上まで続いていたのでしょう。でも、ここも明らかに機械が入ってこられません。ま、捨てられて当然でしょうか・・・。

中永隧道旧道_16

 明るいところに出たことで急に道が木に埋もれ始めました。
 無理。ここは歩けないです。
 その上、跡もかなり薄くなっています。

 一度、田んぼ側に出て回避します。

中永隧道旧道_17

 田んぼ側から見通すと、道がすぐに消えているのが分かりました。
 こういうときは道は・・・。

中永隧道旧道_18

 広い切り通しが突然現れました。林道規格です。
 どうやらここが地図にある道の終点辺りのようですね。

中永隧道旧道_19

 この林道をたどっていきます。どうやら、先ほどの棚田へはこの林道で入って行けたようですね。
 この辺からだんだんと雪が積もってきます。

中永隧道旧道_20
画像が切り変わります

 さてさて、現地形図にある分岐までやってきました。
 ここまでは旧地形図はほぼ正確だったのですが、ここから現地形図と大きく乖離しているのですよね。
 旧地形図ではここをまっすぐ登っていくように描かれているのですが、それはどう見ても無理。ひとまず登っていく道ではなく右にまっすぐ行きます。

中永隧道旧道_21

 杉林の向こうに見えてくるもの・・・、

中永隧道旧道_22

 ごく一部で有名かもしれない廃墟です。これはお風呂跡。
 近くにはプール?のような水溜りや遊具、かやぶき(今は朽ちて屋根が落ちたので分かりませんが)の庵のようなものがあったり・・・。
 ここは旅館だったそうです。
 旧地形図には記載がありませんので、戦後にできたのでしょう。実は遊具に付けられている製造年月日が結構平成に近いので少なくとも昭和のうちは営業していたようです。

 それはともかくとして、とにかく登りの道を探さねばなりません。
 先ほどの分岐付近を調べてみてもどうにも道の跡どころかまともに登れそうな地形すら見当たりません。現地形図にももちろんそれらしい道の記載はありません。

中永隧道旧道_23

 それでもとにかく先に進まなければ。
 となると・・・、廃墟わきを登るこの道か。

中永隧道旧道_24

中永隧道旧道_25

 すでにとんでもなく怪しいです。封鎖されてかなりの年月がたっているようです。
 入山禁止ですが、先に進ませていただきますっ。
 おじゃまします〜。

中永隧道旧道_26

 一歩入るとそこは災害現場。もう道の原形をとどめていません。
 ・・・春になったらすごそうですねー・・・。

中永隧道旧道_27

 がけの上にはコンクリートの構造物が。
 温泉の源泉でしょうか。
 でもあそこまで調べに行くのは先が見えない今はちょっと勘弁願いたいです・・・。

中永隧道旧道_28

 がけ崩れ地帯を抜けると、開けた谷に出ました。
 うーん、結構雪が残ってますね・・・。
 ここで新兵器、「軽アイゼン」を装着。
 ・・・結構前からアイゼンは装備に加えてあるのですが、付けたりはずしたりが面倒なので使うことがなかったのです。この辺で多い泥の斜面でそれなりに有効だっていうことでバッグに入れては見たものの、考えてみれば普通の平地や特にアスファルトでは非常に邪魔なのですよね・・・。
 しかしここでやっと本領発揮ですよ!

中永隧道旧道_29

 ヤブから雑木林へと遷移しつつある道をくぐると、細い尾根の登りになりました。
 この細い尾根に取り付くあたりでどうやら古い道がどこかからつながってきているようです。・・・が、未確認。

中永隧道旧道_30

 道は竹林に入り・・・そして雪が消えました。林道として整備されたようで、足元は結構よく締まった砂利。
 歩きにくい・・・。早くもアイゼンが邪魔になります・・・が、帰りも考えるとはずすのは非常に面倒です。

中永隧道旧道_31

 道が緩やかになったと思ったら広場のような場所に出ました。
 どうやら林道はここで終点のようです。

中永隧道旧道_32

 あ、お地蔵様。  となるとやはりここが峠道なのは間違いないでしょう。
 でも、道は・・・?
 周囲にはそれらしい場所が・・・、登りと下り、ふたつ。

 というところで残念ながら天気が怪しくなったので撤退することに。

 帰りは旧国道をたどることに。
 次回の探索もこの道を使って旅館跡まで一気に自転車で登るとしましょう。

中永隧道旧道_33

中永隧道旧道_34

 そうそう、スノーシェッドで忘れちゃいけないのが、銘板のチェックです。この道のレポートの時にはチェックし忘れてしまったのです。
 確かに「田中角栄」の名前が刻まれてますね。

 春の後半探索へ続く。

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