・・・なんだか見たことある風景ですが、それもそのはず、ここは県道444号線の起点、444号線の旅の終点でもあるからです。 今回はここからレポートを始めたいと思います。
まっすぐが国道・・・なのですが、よく見ると1.5車線です。この国道、この付近のみ、道が狭まります。 ・・・新トンネルが作られたんだからここも拡幅するのかな・・・と思っていたのですが、その気は無いようです。 住宅が並んでるために拡幅しづらい・・・というのは分かるのですが、だからこそ拡幅が必要なはずで・・・ジレンマですね。
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新トンネルは旧トンネルとは比べ物にならないほど長いトンネルです。 左手奥に見えている奇抜な構造物は治山ダムなのですが、このあたりの、こうした土砂災害の多さを嫌った結果がこの長いトンネルなのでしょう。
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ご多分に漏れず、このトンネルも難工事となりました。 それは何よりも、天然ガスと石油。 トンネル中央付近では一日あたり1,000リットル以上の油やガスが湧出し、その処理は困難を極めました。 これは今でも湧き続けているガス・油の処理施設。 しかし、これぐらい湧けば、100年ぐらい前なら「石油成金か?!」とか思えるんですけどねー・・・。今ではあまり注目されることも無いようです。 あ、もちろん火気厳禁です。
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さて。 実は旧道入り口は素通りしてしまい、仕方なく新トンネルの解説が先に来てしまっていたのですが・・・、それはともかくとして、ここが旧道への入り口。
この区間は当初、車道としてではなく、長岡鉄道(越後交通長岡線・廃線)と越後鉄道(現・JR越後線)を連絡する鉄道路線として構想が立てられていました。大正12年に測量・路線決定され、昭和26年に中永隧道が貫通し、県道出雲崎長岡線となり、その後、昭和57年に国道の指定を受けました。 しかし、峠付近は急斜面で地質的にも崩れやすく、降雨量による交通規制がなされ、また、災害にも幾度となく見舞われてきました。 そして、新トンネル供用後の平成16年7月の水害により、決定的なダメージを受けたのです。
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しばらく進むと、すぐに強固なゲートが現れます。 しかし、「災害」の文字はありません。 完全に復旧しているのか・・・?それもこれから確かめられるわけですがね。 それでは、おじゃましまーす。
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しばらくは、ゆるくも無くきつくも無く、小気味よい気持ちのいいのぼりが続きます。 割とすぐ近くに見える新トンネルの坑口。しかし、旧トンネルは標高差は100mほどあります。
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緩まることなく登っていく道。 ところどころ1.5車線になったりもしますが、概ね2車線が確保されています。 線形は良いとはいえませんが、車がこないと分かっているので、気兼ねなくはみ出して走れるのがうれしい。
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ふと見上げると、災害の爪あとが。 落石防止用の鉄柵に、倒木が乗っかっています。そして、その鉄柵も折れ曲がってしまっています。 ここまでこの鉄柵が役に立っているのを見たのは初めてだ・・・。 いたるところこんな感じで、災害のすさまじさが感じられます。
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スノーシェッドが見えてきました。 妙にきれいですが・・・これは・・・。
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足元が半分崩れたんですねぇ。 思わず呆然と眺めてしまいましたよ。 「新潟廃報」様が災害復旧前をレポートしていらっしゃいますが、その中にこのスノーシェッドも出てきていますね。 それと見比べると、どれだけがんばって復旧したかがよく分かります。
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災害を乗り越え、復旧され、今は不安な個所は全くありません。 しかし、道幅は狭く、グネグネしており、3桁国道らしい雰囲気満点です。
個人的に、このスノーシェッドというのが好き。 明るく開放的でありながらトンネル気分が味わえる、とかなりお得な感じがしますから。 というか、トンネルは実は苦手だったり。楽しいし、面白いんですけど、精神的に圧迫感があるので・・・。とくに現役のトンネルの場合、楽しむ余裕はあんまり無いですしね。
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そしてここが、おそらく「道がなくなっていた」個所。 今ではきれいに復旧されて、路面の新しさだけがその痕を示しています。 ・・・これはもう別に封鎖しなくても普通に通り抜けられますよ? 林道代わりに使うにしても、封鎖するのにここまできれいに復旧しなければならない、その理由がよくわかりません。
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尾根もずいぶんと近づいてきました。 トンネルの予感がしてきます。
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と、草むらに謎なモノを発見。 ・・・「長野電波技術研究所」? 長野から電波を出して、受信して・・・、どうするんだろう? しかし、本当に草地だ・・・。それらしい施設も無いし。 謎だ。
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草地試験場からすぐのところでトンネルを発見。すぐそばで三島町の看板も発見。今は無き三島町の看板・・・、残っているのはここだけかもしれません。
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中永隧道、三島側に到着。 しかし、このとき私はうれしさや達成感とは程遠い、どちらかといえば絶望を味わっていました。 ・・・ふさがれてるじゃん! というか、そんなことも忘れていた私が悪いのですが。 ここまで登ってきたのに、一度下ってまた登りなおさなきゃならないのか・・・!
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とりあえず、あたりを探索。 金網から中をのぞいて見ます。確かに泥がかなりたまっているようです。しかし、あとで見直してみると、他の方の写真よりだいぶ泥が多いようです。壁面に付いている跡からわかりますが、雨が降った後などはもっと多いようです。いつかは、あの跡のあたりまで、常に泥がたまるようになるのでしょうか・・・。 そしてよく見ると・・・、わだちが残っています。太さからいって、自転車のもののようです。新旧までは分かりませんが、先人の足跡になんとなく感慨が浮かびます。物好きが多いんだなぁ・・・。 坑門の周りには工期などを示す銘板はなく、扁額のみ。それにしてもこのオレンジ色のコケ、何でしょうね。気持ち悪い・・・。
金網を覗き込んでいると、反対側からエンジン音と人の話し声が聞こえてきました。 逆光で人や車などは見えませんでしたが、どうやら通り抜けたかったようで・・・。 しばらくすると、トンネルの中に入ることなく、帰ったようでした。 ・・・ま、普通の人は帰るよね・・・。むしろ、私の目的はこのトンネルそのものであるわけですが。
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ちょっと自業自得に途方に暮れ気味ですが、それでもここであきらめるなんて出来るわけがない。
アタマノワルイ人間がとる行動はただひとつ。
峠を越えて反対側へ、そしてトンネル探査の後編へ続く。
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