旧国道351号線・榎峠で気づいた、峠の峰の上に建ち並ぶ鉄塔の群。
 そう、それはかつて栄えた油田の名残。
 2年前の春のある日、やっと越えた峠から仰ぎ見て、いつかの再来を誓ったのでした。

東山油田_1

 越の国で”燃える水”が採れることは古くから知られていました。天智天皇への草生津の献上は有名ですが、江戸時代には長岡周辺で石油採取を生業にするところもありました。
 明治に入ると新時代の燃料として石油がにわかに脚光を浴び、長岡周辺で盛んに石油井戸が掘られるようになりました。もちろんそのころは計器や機械なんかありませんので、石油が出そうなところを勘で見当を付けて全部手で掘るのです。当然、ハズレも沢山ありました。それでも一山当てようとまさに小屋が林立、ありえないほどの活況を呈しました。
 機械掘りが導入されさらに産油量が増えると、今度は輸送手段が問題になってきました。最初は缶や樽に詰めた石油を人が背負って山の上から運び降ろしていました。また、山の上へ資材を運ぶにもやはり人力に頼らざるを得ない状態でした。しかも道はひどい山道。そこで明治のうちに道路が開鑿され(榎峠の旧道はこのときの道路でトンネルもこのときに掘られたらしい)、その後さらに送油管も整備されました。ちなみに製油所は今の長岡市街中島地区にあり、長岡の石油産業の象徴としてずっと黒煙を吐き続けていました。
 石油の産油量とともに、戊辰戦争で焼け野原と化していた長岡も復興と同時に大きく発展していきました。大正までの長岡は、燃料の面でも経済の面でも石油が支えていました。
 しかし昭和に入るころには産油量が減少し、戦後には商業ベースに乗らない状態が続きます。昭和の終わりには長岡周辺ではガス井だけになりました。むしろ近年、ガス井が注目を集めています。
 ま、東山油田に関しては沢山の資料がありますので、細かいことはそちらに任せるとしましょう。

 今回はその跡、今残っているものだけを訪ねてみます。
 特に榎峠周辺は最後まで石油が採掘されていたところであり、産業遺産にしようというような動きもあるそうです。
 はたして、何が残っているでしょうか。

東山油田跡

東山油田_2

 さて、レポートの探訪以来、二度目の比礼隧道。
 今回用事があるのはこれではなく、この上のもの。

 ちなみに、ですが。
 この隧道のレポートでは結局この隧道が掘られた正確な年月が特定できませんでしたが、その後、色々調べてみると、まず、「明治地図」にはすでにこの地点にはトンネルの表記があるのです。そのため、史料にはトンネルに関する記述は一切無いものの、明治時代の東山油田への道の開削時に掘られたものかと思われます。
 昭和どころじゃなく、それよりも断然古いものだったのですね・・・。おそろしい。

東山油田_3

 そのトンネルのすぐ脇に山の上へ登っていく道があります。

東山油田_4

 結構上までこんな感じの舗装がされています。
 ほころび具合からすると、油田の廃止前後のものじゃないかと思うのですが・・・。こんな何もないところを舗装する理由が何かあったのでしょうか。

東山油田_5

 舗装された道を高津谷高原方向にたどっていくとまず出会うのがこの小屋。
 何てことない物置小屋のように見えますが、これも立派な石油遺構。

東山油田_6

 この中にポンピングパワーがあります。
 詳しくはこちら。新潟市 秋葉区 区について 石油の里 石油の里公園 ポンピングパワー
 このケーブルで動力を各井戸のポンプに伝えていたのですね。
 しかし今はケーブルは全てはずされています。中継器も一部を除きほとんどが撤去されたりしています。

東山油田_7

東山油田_8

 その差し向かいにとうとう鉄塔が。
 当然のことながら火気厳禁

東山油田_9

 本日一基目。
 なかなかの高さです。

東山油田_10

 ここで使われているのはサッカーロッドポンプというもの。先ほどのポンピングパワーからワイヤーで動力が伝えられ、ヘッド部分が上下して石油をくみ出すのです。よくアメリカとかであるやつですね。ぎーこらぎーこら動いてるアレ。

東山油田_11

 井戸部分。
 細い棒(サッカーロッド)が出ているのが井戸。そこから送油管が伸びています。意外と細いです・・・。
 井戸は木の板でふさいであります。ほとんど腐っていて蓋の役割を果たせていませんが。それでも石油が湧いてるわけでも底なし穴があるわけでもないのでいいんでしょうかね。
 あ、もちろんですけど、石油井戸といっても大きな穴がぽっかり開いてるわけじゃないですよ。機械掘りの場合、地面に数百〜数千mパイプを差し込んであるのです。

東山油田_12

 なかなか高いです・・・。
 鋼材は意外とか細いのですが、何十年という歳月を耐えてきたって事は、かなり頑丈なのでしょう。
 でも、ノーメンテナンスであと何年立ち続けていられるのでしょうか・・・。

 さて、まだまだこの峰の上にはまだまだ他にもたくさん油井があるはずです。
 先を急ぐことにしましょう。

東山油田_13

 しばらくいくと広場があり、急に視界が開けます。
 そこにぽつんと一基、ポンプだけが。どうやら鉄塔は撤去されたようですね。

東山油田_14

 こうなると不思議なオブジェですね。
 栃尾の谷間とその向こうの守門岳、国境の山々、越後三山、さらに粟ヶ岳と、雄大な景色の前にこの無骨な鉄の塊がでんとあるっていうのは、なんとも不思議な感じです・・・。

東山油田_15

 その山の景色といえばこんな感じです。正面の山は守門岳。
 往時はこの谷間にも手掘り井戸を覆う掘っ立て小屋が林立していたそうです・・・。

東山油田_16

 さてさて、その林立していた手掘り井戸で注意しないといけないのが、
「穴」。

東山油田_17

 山中にはこんな感じで穴が沢山放置されています。
 パイプがのぞいてますから、これはおそらく機械掘りのものかと思われます。
 道を外れて林の中に踏み込むのは非常に危険。どこにどれほど深い穴があるのか分かりませんから。

 これは東山に限ったことじゃなく、西山油田でも穴が放置されているところがあるようです。
 山を歩くときは足元に気をつけましょう。

 当時は高津谷高原から北にも油井があったようですが、現在気軽に見に行ける状態にはないようです。
 高津谷高原の入り口で引き返し、隧道から南のほうの遺構を見に行くことにします。

東山油田_18

 さて、高津谷高原への分岐まで戻り、今度は右手に錦鯉の養殖場を見ながら南に向かいます。途中で荒れ果てた少し登っていく道とまともな砂利道とに分かれますが、ここは迷わず荒れ果てた方を選びます。

東山油田_19

 道が崩れ落ちて地中に埋められていたらしい送油管が宙に浮いています。

東山油田_20

 しばらく登るとまた小屋が。
 これもポンピングパワーのようです。

東山油田_21

 中の様子。かなり荒れ果ててますね・・・。
 なんとか大きなディスクと、そこにつながれた軸索が見えます。これが行きつ戻りつの半回転運動をしてワイヤーが引っ張られたりゆるめられたりするのですが、それがワイヤーでポンプまで伝えられ、ポンプの上下運動になるわけです。
 でもこれを動かす元の動力はなんだったのでしょうか?小屋をのぞいた限りでは原動機などは見当たりませんでしたが・・・。

東山油田_22

 さて、もう一方の気になる分岐の方にも入ってみましょう。

東山油田_23

 見えました、油井の鉄塔です。

東山油田_24

 この油井はきちんとポンプと送油管がつながっているようです。

東山油田_25

 ポンプのそばに大きな滑車が落ちていました。よく見るとまだワイヤーの跡が残ってますね。
 これはポンプへ動力を伝えるワイヤーを吊るための滑車なのですが、本来は鉄塔の上にすえられているものです。・・・実はこれを吊り下げるために鉄塔が建てられているのですね。

東山油田_26

 森の中にぽつんとあるという点は高圧電線の鉄塔と同じですが、その雰囲気はまったく違います。
 高圧電線の鉄塔は現役で危険な電流を流しているという点で非常に緊張感がありますが、この油井はそうした緊張感を全く感じません。
 あるいは、ギーギー、ガッコンガッコンと軋みをあげて動いていれば、同じ緊張を感じたかもしれませんが・・・。

 ・・・これはまさに廃墟なのです・・・。

 さて、さらに登ってみましょう。

東山油田_27

 すぐに別の鉄塔が目に付きます。
 細く見えているワイヤーは鉄塔固定用のものです。

東山油田_28

 しかし、改めてみて見ると拍子抜けするほど単純なつくりです。
 製油所の蒸留塔とかと較べるとなんというか・・・、貧弱。まぁ、ガス井のクリスマスツリーなんかも、「これでガスが出てるの?」っていうような感じのものではありますけど。

東山油田_29

 少しめまいがしますね・・・。

東山油田_30

 重りのほうが浮き上がっています。これはまだポンプが油井パイプにつながれている状態だからでしょう。

 向こうには先ほど訪れた油井の鉄塔が見えています。

東山油田_31

 森の中にはこうした中継器も埋まっていたりします。
 目に付かないだけで、このあたりの森にはこういう忘れられた鉄塔や鉄の塊が沢山あるのでしょうね。

東山油田_32

 さらに登ると少し趣の違う鉄塔が。

東山油田_33

 少し骨太な感じ。

東山油田_34

 パイプの囲いもコンクリートです。他のに較べて少し新しいのでしょうか。
 ポンプは撤去されたのか影も形もありません。

東山油田_35

 上を見上げると、まだ滑車がぶらさげっていました。
 あとから気づいたのですが、あの滑車、落ちてたって事は、ここのもいつ落ちるかわからないって事ですよね・・・。ヘルメットぐらいじゃどうしようもないわな。

 立入禁止っ!

 車が入れそうなのはここまで。
 しかし細い道がまだ先には続いています。

東山油田_36

 細い道を分け入っていくと、そこにはこれまでと違う感じの油井が。
 どうやら簡易版のようです。

東山油田_37

 構造的にはこれまでの鉄塔のものと全く変わりがありません。
 が、なんていうか、親しみやすいというか・・・、不思議な感じ・・・。

東山油田_38

 これまでの鉄塔モノと違い、囲いなしに直接地面からパイプが突き出しています。

東山油田_39

 さらに登ると峰の上に出ました。
 視界が大きく開け、守門岳が目の前に。
 のどかだー・・・。
 これでぎーこらぎーこらとポンプとワイヤーのきしむ音が聞こえてきてたら最高でしょうねぇ・・・。

東山油田_40

 しばらく歩くと道が極端に狭まり、終点とおぼしき場所にまたポンプらしき影が。

東山油田_41

 ポンプ・・・ですが何か少し印象が違いますね。

東山油田_42

 あぁ、シーソーするヘッド部分が落ちちゃったのですね。
 ワイヤーを吊るポールは倒れてしまったようです。

東山油田_43

 足元にはヘッドが転がっていました。

東山油田_44

 ここのパイプが最もきれいな状態で残っていました。機械を繋げばまだ動きそうな感じです。

 さて、さらに帰る道すがら。
 途中でショートカットしてしまっていたので、まだとどってない場所にも回ってみます。

東山油田_45

 期待はしていなかったものの、さらに一基が森の中にあるのを見つけました。

東山油田_46

 これもヘッド部分が落ちてますね。

東山油田_47

 こんな感じで木の板はもうフタの役目を果たしていません。
 油が浮いているのが分かりますが、油膜程度で、においもあんまりありません。

東山油田_48

 時を感じさせる風化っぷり。
 黒いのはサビではなく石油の固まったものでしょうか。

東山油田_49

 見上げてみると、ここもまだ滑車が吊り下がっていました。

東山油田_50

 明治〜大正頃はこの周辺は非常に活気があったのでしょうけど、今の姿からそれを想像することは非常に難しいです。今見て回れるのはここで紹介して物ぐらいで、峠から少し下に事務所もありますが、そちらはほとんど物置小屋状態のようです。

 全体的にいえるのは、意外と何もないっていうことでしょうか。「油田」という言葉の響きから重厚な廃墟群を期待していると、ですが。石油のにおいもほとんどありませんから。
 いや、いろんなものが残ってはいるのですけど、根本的に施設そのものが少ないというか、散在しているというか。たとえば他の産業遺産の橋や工場、鉱山などは、もっと大きいものが集中して残っているのですけど。
 近代化産業遺産群33特集<Lococom特集〓地域コミュニティサイト Lococom(ロココム)
 歴史的な意義という点では他の遺産に勝るとも劣らないのですけど。遺構という点では桂斜坑の方がしっかりしてるかな。
 東山油田桂斜坑
 個人的には、「遺産」となれば持倉鉱山を押したいのですが。
 持倉鉱山 遺跡への昇華

 でも、廃墟や工場に興味があって山歩きが嫌いじゃない人ならばいいハイキングコースになるでしょう。眺めが抜群ですから。
 でも整備されることはないでしょうね・・・。

 ちなみに。
 ここはまだきちんと管理されている場所です。管理放棄された廃墟ではありません。私がひょいひょい入っていけたのもそのおかげです。また、滑車の例もあるように、鉄塔に近づくのは非常に危険です。また、周辺も、どこにどんな穴があるか分かりません。
 不用意に立ち入らないようお願いします。
 って私が言ってみても説得力ないか・・・。

このレポートの雑記ノート
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