さて今回は、中永隧道建設計画時に想定された三つのルートのうちの最後のひとつ、道山ルートをたどってみます。

 長岡―脇野町―出雲崎を結ぶ路線の建設が持ち上がったとき、三つの経路が検討されました。それが中永峠剣峰峠、そして今回の芝峠の道です。

 場所はこちら

 芝峠の道に関して、郷土資料でしっかりと書かれたものはほとんどありません。出雲崎から長岡へ、古くは廻船の荷物、現代でも海産物が人、あるいは牛馬によって西山丘陵を越えて運ばれていました。この西山丘陵を越えるルートとして最も重要だったのが剣峰峠でした。しかし、時と場合によって、ほかのルートが使われることもありました。
 芝峠が使われたのは特に出雲崎方面から宮本、関原方面へ行く場合で、メインではない、わき道という扱いでした。それでも昔はそれなりに交通量があったようです。地元の人の利用以外にも、海産物などを運ぶのに使われたようです。
 しかしそれもせいぜい明治のころまで。次第に交通量はすくなくなり、昭和のころには地元の人以外通ることはなかったようです。そして道山集落の閉村によって、地元の人にすら使われなくなり、廃道となってしまいした。
 今回は、その道に残るお話を味わいつつ、たどってみたいと思います。

芝峠越え 前編

芝峠旧道_1

 春、まだ桜も咲かないころ。
 やぶやぶが始動する前にと、天気がいい日を選んで出かけました。
 とても見慣れた光景。同じ風景を何度も撮ってますね・・・。

芝峠旧道_2

 いつもの曲がり角を曲がって、蓮花寺集落を通り抜け、後谷集落を目指します。

芝峠旧道_3

 晴れているとは言っても、花曇でぱっとしない空。
 春は仕方ないですよね・・・。

芝峠旧道_4

 後谷集落にはいる手前の橋。今日の旧道はここが始点となります。

芝峠旧道_5

 せまい谷へと入っていく砂利道。
 普通の農道です。

芝峠旧道_6

 農作業をしている様子も見られます。
 のどか〜。

芝峠旧道_7

 少し行くと左手側に分かれる道がありますが、峠の道はまっすぐ。
 こちらは田んぼが続いています。とはいえ、休耕田も多いですが・・・。

芝峠旧道_8

 どんどん谷間が狭くなってきます。そして、田んぼも尽きてしまいました。
 というよりも、元は田んぼだったのでしょう。

芝峠旧道_9

 杉の樹冠を過ぎると、砂防ダムが現れます。結構な大きさです。
 ここに自転車を置くことにします。もう少し先まで入っていけるのですが、ここが一番広くなっているので。

芝峠旧道_10

 砂防ダムには結構大きな湖(池?)ができていました。
 のぞきこんでみると、水の中できらきらと小魚が泳いでます・・・が大きな魚影は無し。それでも、釣り糸をたれれば何かつれそうな感じがします。

 砂防ダムなどは普通、土砂でいっぱいになっています。
 これは管理が悪いのではなく、そういう風に作られているためです。水を貯める水利ダムと違い、土砂をためるのが目的のダムだからですが、土砂で埋まってないと逆に土石流などを抑える機能が弱まったりします。なので、もし砂防ダムで土砂がたまってなければ、設計に問題がある可能性もあります。
 もちろん、機能や規模によりけりで一概には言えないのですけど。

芝峠旧道_11

 と、いきなり目に飛び込んできた鮮やかな飛行物体・・・カワセミ!
 鮮やかなオレンジと瑠璃色で一発でカワセミだとわかります。意外といるんですよね・・・。
 実は去年もここでカワセミに会ってるのです。もしかしたら同じコかな・・・?
 と思いつつデジカメで一枚。
 ・・・・・・何とか撮れてました。真ん中に見えるオレンジ色っぽい物体がそう・・・だと思います。

芝峠旧道_12

 ダムを過ぎて先へ進みます。
 しばらくはきれいな道が続きます・・・が。

芝峠旧道_13

それもすぐにつきます。
 あとに続くのは道の跡。崩れた来た土砂で埋まってたり水が染み出して湿地化したりして、歩きにくい状態です。
 この近辺も昔は田んぼだったのでしょう。じつは地形図や住宅地図ではいまだに水田マークがついています。

芝峠旧道_14

 少し進んだところ。
 この付近はまだ歩きやすい状態です・・・。

芝峠旧道_15

 右手に現れた小さな沢。
 カタクリなどが咲いています。

 実は、今回の探訪でやってみようと思っているのが、『道山物語』の中で紹介されている、「道山地名図」との照合。
 『道山物語』は、出雲崎町、小木ノ城のすぐ下にあった集落、道山について書かれた本で、この周辺のことを詳しく知るきっかけになった本です。
 冒頭で書いたとおり、道山集落は昭和の終わりに閉村してしまっていて、地図などには名前がありません。現在は大字相田となっています。しかし現在でも暮らしてらっしゃる方がおられるようで、小学校の建物なども残っています。

 著作権への配慮から本の図は載せませんが、わかったところだけ、概略図に地名を載せています。

 この周辺はまだ大字鳥越地内なので、地名図には記載がありません。

 さて、地名と伝承をたどる旅、本番はこれから。
 濃密な中編へ続く。

inserted by FC2 system